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不定期に、「CD ピックアップ」としてとりあげる CD や DVD をここにまとめておきます。探しているアルバムがある場合は、ブラウザの検索機能を使ってください。評価は五つ星を最高とする尺度によっており、星の数は「★ 良い点をさがすのが困難」 「★★ かなり良い」 「★★★ 第一級(年間ベスト・アルバム・クラス)」 「★★★★ 抜群、数年に一枚出るか出ないかのクラス」 「★★★★★ 不朽の名盤、その分野の古典と呼ばれるに値する」です。つまり、通常、「最高」と呼ばれるようなものは三つ星です。
Lillis Ó Laoire, Annie Ebrel, Màiri Smith, Julie Murphy: Datgan (Fflach CD183H, 1997) ケルト諸語の四地域、アイルランド出身の リリス・オ・リーレ、ブルターニュ出身の アニー・エブレル、スコットランド出身の モーリ・スミス、ウェールズ出身の ジュリー・マーフィー の無伴奏伝統歌のみを集めた珠玉のアルバム。これほどの録音は今後もまず出ないだろう。
この CD は無伴奏歌を心の友とする人ならおそらく宝物になるであろうアルバムである。海へ海へと押しやられていった文化、なかんづく詩歌の粋が詰まっている。
このアルバムで面白い趣向は、各自がソロで歌う以外に、デュエットでも歌うことだ。異文化圏に属するはずであるのに、なんの屈託もなく、自然に共演している。特に、トラック5 <Airdí Cuain> のオ・リーレとスミスとのデュエットはすばらしい。トラック12 <Ag an Phobal Dé Domhnaigh> はリリスのソロ・アルバム(1992)の同曲とはもちろん別録音。こちら 《Datgan》 での録音のほうが現在のリリスの声に近いと感じる。
無伴奏伝統歌の録音はかくあるべしというお手本のような録音。こういう声のひびきが録音できるということは、エンジニアの Wyn Jones はよほどよく分かっているに違いない。ともあれ、これほどのいい録音で名歌手の歌が聴けるというのは、至福以外の何物でもない。リリスの声は本当にこんな声だ。あとちょっとで本物の声に近づく。ウェールズ語の datgan (表現する、物語る、表す) はこういう声のためにあるのであろう。ちなみに、シャン・ノース歌唱では「歌を話す(語る)」 (abair amhrán) という言いかたをする。 (23 March 2004)
収録曲――
Meaití Jó Shéamuis Ó Fátharta: Bóithríní an Locháin: Sean-Nós Songs from Connemara (Cló Iar-Chonnachta CICD 154, 2003) コナマラの男性アイルランド語歌唱の雄、マティ・ジョー・ヘームィシュ・オ・ファールタ。
2001 年のオ・リアダ杯受賞者。
収録曲(斜体は器楽曲)――
参加アーティスト―― Meaití Jó Shéamuis (vocals, lilting, flute, uilleann pipes) 他。 評価―― ★★★★
ベスト・トラックは 'Bóithríní an Locháin'。たとえば、この歌におけるスピード感は近年の歌い手の中では非常に珍しい。昔のシャン・ノース歌手は今の歌手よりもテンポが速かったと言われているから、これが、より古いスタイルなのだろう。装飾音 (ornamentation, embellishment) の観点からいうと、このほうがはるかに歌うのが難しい。しかも、コナマラ流のシャン・ノース歌唱では特に装飾音の附け方こそが、歌の生命線である。その意味では真に現代の名人の名に値する。 (9 February 2004) [追記] 上記の歌のやや短いヴァージョンのライヴ録音が Cumar (CICD 141) で聴ける。これもすばらしい。 (14 February 2004)
Doimnic Mac Giolla Bhríde: Saol na Suailce: Sean-nós as Tír Chonaill (DMGB 001, 2004) ドネゴール県デリベグ出身の ドミニク(ドゥィムリク)・マク・ギラ・ヴリージェ。待望の初ソロ・アルバム。アルバム・タイトルは「楽しい生活――ドネゴールのシャン・ノース歌唱」の意。
たましいをゆさぶられるアルバム。後世にまで語りつがれるだろうアルバム。
目を閉じて聴いていると、ドネゴールの風景が、とりわけ荒涼たる海や山や空の風景が心に浮かぶ。貧しいことが逆説的に強さになるような、そんな胸をしめつけられるような感動を覚える。粗削りの面もあるが、この勇者、ドネゴールの若獅子の実力は隠しようもない。恐らく各誌で絶賛されるだろうが、だれが何を言おうが関係ない。一番ショックを受けているのはアイルランドの若手のアーティストたちだろう。自分たちの原点を掘り起こされたとの思いで奮い立ったのではないかと想像する。これほど強烈なメッセージがアイルランドから発信されるのを聞くのはいったい何年ぶりのことだろうか。
本アルバムは、最近の優秀な新進アーティストのアルバムのつくりとはまったく違う。名うてのミュージシャンを大勢呼んできて洗練された音づくりを目指す方向とはまったく違うのだ。そういう加糖処理や、化粧はいっさいない。そのための予算もなかったのだろうが、そんなことは問題ではない。
問題はここに差出された音の中身だ。おれたちはこんな音楽をやる。だれの手も借りない。よかったら聞いてくれ。そんなそっけなさのなかに高潔な心意気を感じる。
しかし、実際にはアイルランド語放送局やアイルランド語庁(Foras na Gaeilge)など四機関が本アルバムを後援しており、次代をになうこの若者をほうってはおかない。来春の来日が本当に楽しみ。
たとえて言うと、あしたのジョーに、忘れかけていた真のハングリー精神を想いおこさせる路地裏の眼光鋭い少年みたいなのが、この Doimnic Mac Giolla Bhríde なのだ。(← 意味不明)
今は新しい伝説の誕生に静かに乾杯したい。
おめでとう、a Dhoimnic! (18 July 2004)
参加アーティスト―― Doimnic Mac Giolla Bhríde (vo, uilleann pipes, etc.), Niall Hackett (bouzouki, etc.) 他。 評価―― ★★★★
Séamus Ennis: The Wandering Minstrel (Topic, 1974; Green Linnet GLCD 3078, 1993) ダブリン県出身の シェーマス・エニス (1919-82)。20世紀のアイルランド伝統音楽で最重要人物の一人。イラン・パイパー、ティン・ホィッスル奏者、歌い手、ストーリー・テラー、採譜者、録音者、公演家、放送人として。彼のアイルランド語は コナマラ の Ros Muc (Rossmuck) 仕込みである。
全篇シェーマスのパイプス・ソロ。音の出だしからシェーマス独特の雰囲気がただよう。今から30年前のアルバムだが、そんなことは関係ない。
ライナーをシェーマス自身が書いているが、シェーマスの書いてるものは何でも読む価値がある。米 Green Linnet 盤(写真)が入手困難になったのは残念だが、愛 Ossian 盤は入手可能。
トラック7 'The New Demesne' は一聴して強い印象を残すリールだが、パイプスの技巧面でも難曲という。シェーマスは父の演奏から覚えたらしい。リールの中でも「大曲」 (big reels) の一つとシェーマスは書くが、リールにもそういう名称があるとは知らなかった。歌ではよく「大曲」 (big songs) という言いかたをする。
トラック10 'Molly O'Malone' は北西コナマラのアイルランド語によるフォーク・バラッドだという。この曲のスロー・エアとしての演奏はシェーマスらしい分厚さがある。
トラック11 'Kiss the Maid behind the Barrel' も big reels の一つで、この難曲におけるシェーマスの卓越した技術はすばらしい。このアルバムのハイライトだろう。
このアルバムが1974年に録音された Livingstone Studios (Barnet, London) はジョン・レンボーンの《The Lady and the Unicorn》が録音された場所でもある。 (13 March 2004)
参加アーティスト―― Séamus Ennis (uilleann pipes)。 評価―― ★★
Loretto Reid & Brian Taheny: Celtic Mettle (Iona Recordings IRCD 049, 1997) スライゴー出身のマルチ・インストルメンタリストの俊英デュオ。ロレット・リード と夫のブライアン・タヘニーはカナダ在住。
このアルバムはカナダの Reta Ceol が制作し、スコットランドの Iona Recordings からリリースされたもの。Iona はその後、Iona Records となり、さらに、グラスゴーの Lismor Recordings の傘下に入るが、現在は The Scottish & Irish Traditional Celtic Music Store にカタログは移されている(下の文章参照)。
伝統音楽の雰囲気を維持しつつ、ロレットの自作もすばらしい。時には現代的な編曲もある。ロレットはフルートもホィッスルもコンサーティーナもボタン・アコーディオンもみないい。ブライアンのソロのトラックもある。トラック8のカロラン曲集もいい。
これほどの作曲の才能があり、多くの楽器をあやつれて、編曲も切れ味鋭ければ、少しはとんがりそうなものだが、そうではないところが興味深い。ライナーを見ても分かるが、非常に謙虚に、全曲で主なる神をほめたたえる姿勢がある。敬虔にして音楽味鮮烈なめずらしいアルバム。
これが二枚目だが、その後、やや音沙汰なし。忘れられるには惜しいアルバムだ。現在は The Scottish & Irish Traditional Celtic Music Store から入手可能。 (15 March 2004)
参加アーティスト―― LorettoReid (flute, whistle, concertina, button accordion), Brian Taheny (g, bouzouki, mandolin, tenor banjo) 他。 評価―― ★★
VA: Celtic Twilight 2 (Hearts of Space HS11106-2, 1995) アイルランド系米国人のジョーニー・マッデン (Joanie Madden) をはじめ、さまざまな地域のケルト系アーティストを集めたアンソロジー。
このジョーニーの吹く<ローシーン・ドゥヴ Róisín Dubh>(黒いバラ)はすばらしい。もちろん、アイルランドの非公式国歌とも言われるほどの重要な歌なのだが、こうしてスロー・エアとして卓抜な演奏を聞かされると、エアとしてもきわめて美しいことをあらためて実感させられる。
その他、既発表曲ではあるが、コーマック・ブラナハ (Cormac Breatnach) によるショーン・オ・リアダの名曲<ムロー・ナ・ヘーラン Mná na hÉireann> (アイルランドの女たち)の演奏も秀逸。なお、この演奏はグループ Deiseal によるもので、もとは 《The Long, Long Note》 (Starc Records SCD 193) に収められていたが、発売元が消滅したため、廃盤。現在は、このようなコンピレーションに入っている形でしか聞くことができない。
約半分にあたる6曲は未発表曲が収められている。うち4曲(ジョーニーの<黒いバラ>をふくむ)はこのコンピレーションのために特に録音されたもので、そのような点が凡百の寄せ集めアンソロジーとは違う。Hearts of Space レーベルが中堅どころの佳曲のみを集めて出しているもので、良心的で息の長いシリーズと言える。これが第二集だが、現在、第六集まで出ている。なお、この会社のモットーは 'slow music for fast times' だが、あまりにも時代に合いすぎている。昔からこのモットーだったのだろうか。 (17 March 2004)
参加アーティスト―― Joanie Madden (whistle, low whistles), Cormac Breatnach (Overton F & A whistles, Susato A whistle, percussive whistle, voices) 他。 評価―― ★☆
Vintermåne: Vintermåne (2L 2L3, 2002) ノルウェーの三人組、ヴィンターモーネ の今のところ唯一のアルバム。シンセサイザーなどを担当するメンバーのみが男性で、あとは女性。
このCDアルバムはいろんな意味で満足感がひろがる。まず、ジャケットを手にとると、感触がなんとも言えずいい。「冬の月」を象徴するのだろう円と三角。円のほうはガラスのようだ。三角のほうは中に煙を封じこめたような不思議な物体で、そこだけ材質の違う光沢を放っている。そういえば、Vintermane という文字も、淡い黄色の光沢を放つ。
プレーヤーに載せてかけると、ノルウェーらしい北欧の透明感と怜悧な感覚とが部屋一杯にひろがる。空気の感覚が変わるといってもいい。そのうちに、北欧独特の存在感のある女性ヴォーカル(アン)が始まり、一本の線が通る。この線はしっかりしており、容易には切れないような粘りがある。
そのうちにソプラノサックス(フレイディス)が始まる。このサックスはまたよく歌う。ヴォーカルに負けないくらい、よく歌う。バックで控えめに聞こえていたプロフェット・シンセサイザー(トルユス)はピアノの音色に変わるや、がぜん存在感を増す。かつてのジャズの名盤、アート・ランディとヤン・ガルバレクのコラボレーションをちょっと想起させる。
ジャズと言えば、このアルバムはジャズ喫茶でかけても、おそらくまったく違和感がない。ドラムズなどのゲストを含めて楽器奏者の感覚は完全にジャズのそれだ。
聴いていると、だんだんあったかくなってくる。最初の印象が怜悧だったのが嘘のようで、心の熱さが演奏に反映していることがリスナーにはよく分かってくる。この無段階の変化は非常にうれしい。冬から春にかかる頃に聞くと、感覚的にはぴったりだ。 (24 February 2004)
参加アーティスト: Anne Gravir Klykken (vo), Frøydis Grorud (sax), Torjus Vierli (synth) 他。評価: ★★★☆
Various Artists: Goodbye, Babylon (Dust-to-Digital, 2003) 米国 のゴスペル音楽の"バイブル"とも言えるアルバムが誕生した。
ゴスペル音楽の初期の録音を集大成し、本物の綿花とともにシーダー製の木箱に収めた《Goodbye, Babylon》 はジョージア州アトランタの Dust-to-Digital が2003年10月に発表した 6 枚組のアルバムだ。ジョージア州からこういうものが出たということは、ある歴史の必然を感じさせる。
ジョージア州オールバニー生まれのレイ・チャールズがゴスペル曲をもとに <I Got A Woman> を生み出したのが1953年。それは彼にとって最初の大ヒット曲であったが、同時に、ソウル音楽や黒人のポピュラー音楽全般がゴスペルの伝統からインスピレーションを汲みだすという流れの始まりであったとも言える。その後、四半世紀をへて、ジョージア州は州法においてレイ・チャールズの <Georgia On My Mind> を州歌と定めるに至った(1979年)。
そのゴスペルという黒人音楽の泉がいかに聖書という泉から多くのものを汲みだしているかについて、もし真剣な興味があれば、この 6 枚組はまたとない宝庫となるだろう。ふだん何気なくゴスペルに耳を傾けている人も、このアルバムの 200 頁に及ぶ解説書を読みながら聴けば、一つ一つの曲がどのような聖句から霊感を得ているかが、はっきりと分かる。さらに、6 枚目全部を占める説教集を聴くに及んでは、聖句にもとづく説教師のことばと会衆の応酬とが、ゴスペル音楽のルーツそのものであることが確信できるだろう。それは、説教なんて退屈なものだろうという予想をくつがえすどころか、これほど熱い音楽はないとさえ言えるほどのものである。
ここに収められた音楽や説教については、ハイライトが多すぎて、語りつくせない。多くのレヴューがハリー・スミスなみの渾身の編集作業に対して絶賛を送っている。附属の解説書も入魂のできで、歌詞や説教の言葉やアーティストの背景はもとより、もとになる聖句がきっちり書かれているので、読みながら聴くにはまことに好適である。全体を通して、無私にして無償のエネルギーがプロダクトのすみずみまで注がれているのが感じとれる。それを支えるものはただ一つ、神への奉仕の意識以外に考えられない。
ゴスペルとは言うまでもなく「福音」つまり「よい知らせ」であり、その「よい知らせ」を人に伝えたくてたまらないという熱意がゴスペル音楽の底にはある。なぜそういう熱意を持つかといえば、貧しく虐げられていた人々の苦しみに神は目をとめており、その人たちを神は見捨ててはいないという、信じがたいほどにうれしいニュースを聞いたからである。そのうれしさのほどは、説教師に答える会衆の熱き叫びを聞けば十分すぎるほど分かる。
特に印象に残るトラックを少し挙げてみよう。1 枚目では、めずらしい手製の楽器(dolceola に近いと言われる)で弾き語りをする Washington Phillips の <Lift Him up That's All> (1927)、"vocal percussion" と呼ばれるリズミカルな四重唱のスタイルをつくりだした Golden Gate Jubilee Quartet の <Rock My Soul> (1938)、説明の要なしの Mahalia Jackson の <God's Gonna Separate the Wheat from the Tares> (1937, ピアノは Estelle Allen)、足踏みオルガンとタンバリンという素朴な伴奏ながら忘れがたい Luther Magby の <Blessed are the Poor in Spirit>、ブルーズ・フィーリングあふれる Lil McClintock の <Sow Good Seeds> (1930)、力強い四重唱を聞かせる Taskiana Four の <Creep Along, Moses>、ゴスペル歌集出版社の社員が売込みのために結成した異色の Tennessee Music and Printing Company Quartet の <Joy Bells>。
2 枚目に行くと、ブルーズのほうでも Georgia Tom として知られる Thomas A. Dorsey がおそらく Tampa Red と一緒にやっている <How About You> (1932)、ブルーズ・ハープを吹き、かつ歌う Jaybird Coleman の <I'm Gonna Cross the River of Jordan> (1927)、1946 年に結成されて以来今日まで活動をつづけている Trumpeteers の <Milky White Way> (1947, 当時、Mahalia Jackson と Sister Rosetta Tharpe とを足したよりも売上が多かったという)、Betty Johnson を擁する Johnson Family Singers のさわやかな <Deliverance will Come> (1951)、Alan Lomax がミシシッピ州刑務所で録音した、丸太きりの音入りの Jimpson らの <No More, My Lord> (1947)、Empire Jubilee Quartet の列車のメタファーを使った <Get Right Church> (1929, 19世紀半ばまで遡るといわれる曲)、トリニダードのカリプソ・スタイルで歌う Lion and the Cyril Monrose String Orchestra の <Jonah, Come out the Wilderness> (1938)。この調子で 1 枚あたり合計75分くらいの歌が 5 枚にわたってぎっしり詰まっている。最後の 1 枚は上に述べたように、ゴスペルの現場そのものである説教が収められている。
全 6 枚に珠玉の 135 曲と 25 の説教を収めている。安い買物ではないが、問題はお金ではない。お金では買えない価値あるものを追い求めた人々の真実の声が聞ける。 [入手先] (1 April 2004)
参加アーティスト―― Mahalia Jackson (vo), Blind Willie Johnson (vo, g) 他。評価―― ★★★★☆
Big Daddy 'O': Deranged Covers (Rabadash, 2004) 米国のシンガー、ギタリスト、ビッグ・ダディー・オー (Owen Tufts) の2004年のアルバム。
こんな自由な音楽は久しぶりに聞いた。Flying Machine 時代のジェイムズ・テイラーを想いだす。フォークとブルーズの楽しさの原点に還った歌の数々。
特に、トラック8のジョージ・リリーとの掛合いやトラック16のジョン・グロの B3 のからみはゾクゾクする。
平原とか河口とかを聞いて、またシンガー・ソングライターという「種族」への興味がぶりかえした。
アイルランドの伝統歌にもその種の人たちがつくったと思われる歌はある。たとえば、有名な<Eanach Cuain>はラフトゥリー作の歌といわれる。
ところで、現代においてシンガー・ソングライターの本場といえば北米だろう。(現代においてと断るわけは、たとえば「12世紀において」とすれば、トゥルバドゥールを擁するプロヴァンスになるという具合になるからである。) ギターを手にして自作の歌をうたうというスタイルはきわめてインパクトが強く伝染力があるのはイングランドやアイルランドを見ても分かる。このスタイルはフォークやブルーズの原点ともいえる。バートやジョンやデイヴィはみな大西洋のかなたを向いたところからスタートした。(その証拠を1枚だけ挙げると、Bert Jansch が Brownie McGhee と演奏した曲が収められている《Acoustic Routes》[Demon, 1993]。)
ビッグ・ダディー・オーは自作曲は確かまだ一曲しか発表していないので、シンガー・ソングライターとはいいにくいが、ともかくいい歌をとりあげて自分のギターに載せてうたう。ただそれだけといえばそれだけだが、この味が何かを感じさせる。
声がまずいい。ボズ・スキャグズを苦みばしらせ、ときにジャクスン・ブラウンのような母音のひびきをまじえ、これにあったかみを加えたような太い太い声だ。ギターもいい。リズムのセンスや歌との兼合いが非常に気持ちいい。ほかのミュージシャンが加わるときには完全にルイジアナのサウンドになる。そのサウンドにおける一見乱雑なからみあい、あるいは遊びはニューオーリンズ音楽の伝統を感じさせるが、ユニゾン一辺倒のアイルランド音楽と比べるとひどく自由に聞こえ、アイルランド音楽が逆にストイックに感じられてくるほどである。もちろん、それはアイルランド音楽が本質的にソロの音楽だからだ。しかし、ストイックかと言うとそれよりむしろ、自分個人より芸のほうが大きいという位置感覚というかスケール観が根底にあるが故のことである。この芸の伝統が巨大すぎるのだ。(ルイジアナの伝統が小さいなどと言うつもりは微塵もない。ただ、音楽家の伝統観に差があるだろうと示唆しているに過ぎない。この差はひょっとすると、米愛の歴史の違いや言語における発想法の違いに帰着するかもしれない。)
今日、北米には、あと女性でテリ・ヘンドリクスとか、ジョー・セラピアといったずば抜けた歌い手がいる。男性ではこのタフツが飛びぬけているように思う。こういう人たちの特徴は、一色にそまらないことで、音楽的アプローチが非常に自由で柔軟性があることである。自分がどういう音楽をやっているかがはっきり分かってやっているので、クリエイティヴィティがさえぎるものなく発揮されている感じなのだ。自由自在だ。
ひるがえってアイルランドを考えると、ジミー・マッカーシーの名前を挙げたところで止まってしまう。これを伝統音楽の呪縛と考えてはまずければ、いったいなぜなのだろう。
逆に言えば、タフツの場合、伝統にどっぷり浸っていながら、そこから限りなく自由に歌そのものを楽しんでいるのだ。まことに気分がいい。[入手先] (12 March 2004)
参加アーティスト―― Big Daddy 'O' (vo, g), John Gros (org) 他。評価―― ★★☆
Donna Long: Handprints (Own Label, 2003) 米国のアイリッシュ・ピアニスト、ドナ・ロング の初ソロ・アルバム。
チェリッシュ・ザ・レイディーズ (Cherish the Ladies) での活動で知られるが、ソロになると、通常のアイリッシュ・ピアノの予想をくつがえし、まったくブンチャ、ブンチャではないピアノを弾く。フィドルなどと共演するとブンチャは現れるが。
ふつうのアイルランド音楽ファンが聞けば、おそらくフィドルと共演している4つのトラックが聞きやすいだろう。だけど、ピアノ・ファンが聞けば、それ以外の7つのトラックにおけるソロ・ピアノのほうがおもしろいかもしれない。
初めのうちはタイム・ドメインではない音響装置で聴いていたところ、どうもドナの自宅のピアノというカワイの音が鳴っていないように聞こえた。中低音域が濁っており、調律が悪いのか、録音が悪いのか、ピアノが悪いのかなどと思った。ところが、タイム・ドメイン・ミニで聴き直すと印象が少し変わる。欠点と思えた部分は遠景に去り、音楽そのものが浮上がってくる。ということは、ドナの手許ではこういう音で鳴っていたのだ。
で、それをもとにすると、ドナのソロ演奏はリリカルで、トラック6でのジェームズ・ケリーのフィドルとの共演も非常に好ましく聞こえる。特にこのトラックのジグ3曲はケリーからまなんだというだけあって、息はぴったりである。
それでも、トラック9 <My Lagan Love>などを聞くと、やっぱり、もっといいピアノで、いい録音で聞きたかったという思いはぬぐえない。このピアノは倍音成分が不足していて、この曲のように複雑な和声が鳴るときはやはり役不足の感が否めない。 (19 March 2004)
参加アーティスト―― Donna Long (p), James Kelly (fiddle), Jesse Smith (fiddle) 他。評価―― ★☆
Steve Miller: Born 2B Blue (Capitol, 1988) 米国のギタリスト、シンガー、スティーヴ・ミラー の1988年のアルバム。
かけたとたんに耳が喜ぶアルバムというのがある。これは16年後の今も色あせることなく、そんなアルバムでありつづけている。タイム・ドメイン・ミニで鳴らしても輝きは増すばかり。
これはミラーがはだかになっているアルバムと言われている。むきだしのソウルがしかしクールに表現されている。こういうアルバムはありそうで、なかなかない。
なにより、ギターの音色がすばらしい。それが最もよく活かされているのは、たとえば、トラック7の 'Just a Little Bit'、たとえば、トラック10の 'Red Top'、これらは全体の音色のブレンドもすばらしい。ひとつひとつがクリアでしかもまじり合っている。メローになりすぎず、タイトさを保ったまま切れ味がいい。こんな音がトラック・ダウン中にスタジオ・モニターから聞こえてきたらミュージシャンは歓喜するだろう。
スティーヴの父はレス・ポールの結婚式で新郎の付添い役をしたというほどの仲だったという。まさにギターでブルーズを弾くために生まれてきたような男だ。 (10 March 2004)
参加アーティスト―― Steve Miller (vo, g) 他。評価―― ★★
Tommy Emmanuel: Endless Road (CPR Entertainment, 2004) オーストラリアのギタリスト、トミー・エマニュエル が2004年初めに発表したアルバム。
ギターの心得のある人がこのアルバム《Endless Road》のトラック15冒頭を聞けば腰を抜かすのではないか。何か分からないが、まるで天空からキラキラしたものが降ってくるような、そういう音が聞こえるのだが、これがギターの音だとはにわかには信じられない。
驚いているうちに、なじみ深い<Somewhere Over the Rainbow>のメロディーが聞こえてきて、ああ、あれは虹を表していたのだなと感づく。
虹を初めて見た人類は、あり得ないものを見てしまったと、さぞかし仰天したことと思うが、この信じがたさをギターで表現しようとすれば、こういう信じがたい音になるのだろうと納得する。思えば、人類および生きとし生けるものを存続させるため箱舟をつくったノアと神が交わした契約のしるしは虹だった(創世記9章12-17節)。
トミー・エマニュエルはバカテクのギタリストとして、ギター小僧のなかでは知らぬ者はない……かどうかは知らない。が、まあ、チェト・アトキンズ以来のギターの系譜を追いかけている人なら、知らぬ人はないだろう。彼こそは、CGP (Certified Guitar Player) の称号をチェトから正式に受継いだギタリストだからだ。
世評は知らないが、彼ほど「歌う」ギタリストはまたとない。アクースティック・ギター一本でアルバム一枚を聞かせてもまったく飽きさせないくらい、ギターがよく歌っているし、アルバムの終わりには文字通りの「歌」も聞かせ、テクニックだけでなく、素朴な歌心が底にあることをリスナーは感得させられるのである。
彼の特徴は、いちむらまさきさんの説明によると、カントリー・ギターの二大奏法である、ギャロッピングというフィンガー・ピッキング奏法と、スティール・リックスという速弾きとの両方において達人であるということだ。確かに、フィンガー・ピッキングもメロディの速弾きも、どちらもめちゃくちゃうまい。チェト・アトキンズが跡継ぎに指名するはずだ。それから、<虹の彼方に>をはじめ随所に聞かれるハーモニクスの見事さ。まったく唸るしかない。
トミーのオーストラリアにおける位置は、アメリカにおけるジェイ・グレイドンのようなものだ。つまり、スタジオ・ギタリストとしてナンバー・ワン。トミーはアメリカでも高い評価を得ている。また、英国でも同様で、2004年3月中旬に行った英国公演はまたたくまに売切れたという。おそらく、現在、生で見たいギタリストの人気投票をすれば上位の数人に入るだろう。
もし、このアルバムがあまり知られていないとすれば、それはひとえに入手が困難だからだろう。けれど、苦労してでも入手するだけの価値はある。 [入手先] (8 April 2004)
【入手したい人向けの重要な追記】2004年5月22日現在の情報では、このアルバムはウェブサイト上では訳あって掲載できなくなったとのことで、上記の入手先(apple Jam)では店頭でのみで口コミ販売をしているとのこと。いつまで扱えるか不明らしいので、入手を考えている人は今のうちにぜひ手に入れることをお奨めする。(22 May 2004)
参加アーティスト―― Tommy Emmanuel (g, vo), Elizabeth Watkins (vo)。評価―― ★★★☆
平原 綾香: Odyssey (Dreamusic, 2004) 日本のシンガー・ソングライター、平原 綾香 のデビュー・アルバム。
平原を聞いていると覚醒してくる。どこが。耳が。脳が。偶数トラック(特に2)のミクシングの実験精神はどうだ。万人向けのレパートリーをそろえた大人しい奇数トラックとは対照的だ。
そのどちらにも平原は千変万化の声色と歌唱法で応える。逸材というほかない。ただし、偶数トラックの凄さは分解能の低いシステムではたぶん聞取れない。
歌をつくる際に母音の響きを重視して言葉を選ぶ姿勢はアイルランド語詩に通じる。音域による声色の違いはアイルランドの奇才モーィレ・ニ・ヘーラハルを想わせる 。
「等身大」の自分を出そうとしたとインタヴューで語っているが、この「等身大」はなかなかに可能性を秘めており、今後が楽しみ。 (10 March 2004)
参加アーティスト―― 平原 綾香 (vo, alto sax) 他。評価―― ★★☆