| Lasairfhíona Ní Chonaola |
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| アルバム Albums | Index |
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(仏 Erato, 1998; 米 WEA; 日本盤 ワーナーミュージック 《ライツ・イン・ザ・ダーク》) ラサリーナの初録音盤。エクトル・ザズーによる一種の「コンセプト」アルバム。ラサリーナは3曲の歌と1つの語りを録音している。また、アルバムのライナー・ノーツに解説文を寄せている。アルバム副題に 'un voyage aux origines des chants sacré d'Irlande' とあるように、「アイルランド聖歌の起源を探る旅」がテーマ。CD Universe で全曲試聴可。ラサリーナの参加したトラックはつぎの通り。アイルランド語の語りの [13] 以外は歌。(You can hear excerpts from all the tracks at CD Universe.)
(LNC 001CD, 2002) ラサリーナのソロ・デビュー盤。番号から分かる通り、アーティストのインディペンデント・レーベル。全14曲。すべてアイルランド語の歌。2002年8月8日、フランス西部のロリアンで開かれたインターケルティック・フェスティヴァルで初めてリリースされた。収録歌はつぎの通り。| 経歴 Biography | Index |
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まず、コニーラはコナマラ西部に多い姓らしい。この姓についてはなかば伝説じみた話が伝わっている。ホニーラとなっているのは、「ニ」(娘)に続くことからくる文法上の軟音化 (lenition)。
ラーサリーナ(ラサリーナ)というのは現在女子の名として人気があるという話もあるが、会ったアイルランド人でこの名を聞いたことのある人はいないので、真相は不明。語源については lasair が炎の意、fíon がワインの意であることから、「炎のワイン」(flame wine) とか「燃え立つ(ように赤い)ワイン」(flaming wine) などの解釈があるようだが、はたしてどうか。軟音化を起こしていることからこれは属格ととり、「ワインの炎」(flame of wine) ととるのが文法上は至当ではないか。本人が最近オフィシャル・サイトで説明しているところによると、古いアイルランドの名前で 'Flame Of Wine' の意だとしている。なお、「ラーサリーナ・ニ・ハニーラ」と表記する人もある。本人は英語圏向けには Lah-sah-reena Nee Huneeluh と発音を説明している。
いずれにせよ、ラーサリーナ・ニ・ホニーラ Lasairfhíona Ní Chonaola とは、オ・コニーラの娘ラーサリーナということだ。この名前はもちろん未婚の娘の名前である。父の姓は Ó Conaola となるはずである。
ラーサラリーナの父はその通り、Dara Ó Conaola といい、作家である。『小さな英雄』 An Gaiscioch Beag (1998)、『海上の使命』 Sea Mission / Misiun ar Muir (2000) などの作品が知られている。(Lasairfhíona's father, Dara Ó Conaola, is a renowned Aran writer, whose works incoude An Gaiscioch Beag (1998) and Sea Mission / Misiun ar Muir (2000).)
ラーサリーナは生まれはダブリンだが、育ったのはアラン諸島 (Oileáin Árann) の東島 (Inis Oírr) だ。16世紀末にエリザベス一世が創立した大学トリニティ・コレッジ・ダブリンを卒業後(ケルト学専攻)、同大学でアイルランド語を教えていた。
ラーサリーナが音楽シーンに登場するのは1998年、まだ彼女が20代半ばの頃である。アイルランドのさまざまなテレビ番組で歌った経験はあったが、録音としては同年リリースされたエクトル・ザズーの《ライツ・イン・ザ・ダーク》が最初である。これはたちどころに注目を集めることとなり、「アイリッシュ・タイムズ」紙で1998年のベスト・アルバムの一つにえらばれた。現代のシャン・ノース・シンガーが保持しているアイルランド聖歌の伝統をモダンな編曲で提示してみせた、実験的で意欲的なアルバムである。ピーター・ゲイブリエルや坂本龍一やカルロス・ヌーニェスなどの参加ミュージシャンの多彩さは別として、アルバムの本質はアイルランド聖歌をいかに現代的な解釈で聞かせるかというところにある。その点では、シンガーこそがこのアルバムの主役である。
同アルバムに参加した三人のシンガーの一人ラーサリーナは小さい頃から歌に親しんでいた。1998年7月9日付の The Galway Advertiser に載った発言によると、歌い始めたのは「ごく小さい頃」("quite young")で、「小さい子どもの頃、いつでも独りで歌うのが好きだったの。父は伝統歌を数曲教えてくれたけど、結局、島を定期的に訪れていた有名な伝統歌教師トリャサ・ニ・ヴィラーンに歌のレッスンを受けにやってくれたわ。」("I was always happy to just sing by myself when I was a small child. My father taught me several traditional songs, and eventually sent me to singing lessons with the well-known traditional singing teacher Treasa Ni Mhiolláin who used to visit the island regularly") という。[Lasairfhíona's remarks cited in the 9 July, 1998, issue of The Galway Advertiser.]
海外での公演経験としては、1998年夏のモントルー・ジャズ・フェスティヴァル(スイス)、2002年夏のフェスティヴァル・アンテルセルティク・ドゥ・ロリアン(フランス・ブルターニュ)がある。(Her performances abroad include the prestigious Montreux Jazz Festival in Switzerland in 1998 and Festival Interceltique de Lorient, Bretagne, in 2002, where her solo album An Raicín Álainn was first released on 8 August.)
| 歌 Amhráin | Index |
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(大意: [1] 童貞聖マリアがあなたの枕元におられる、/聖母は神の天使と天の天使を連れてきておられ、天使たちはあなたの霊魂を守っている。/イエズス・キリスト御自身がおられる、あなたの床の足元におられる、/哀れなる者よ、あなたへの裁きが重くはなかったので、私はなぐさめられる。/[あなたの友たちが、あなたの友が、あなたの床のまわりに集まっている]/彼らは、あなたの打ち棄てられた肉体を厳しい表情で見つめている、/彼らはみな悲しみ、彼らはみな心を痛めている、/哀れなる者よ、彼らがそこにいることは、あなたには分からない。 [2] けれども、童貞聖マリアが枕元におられることはあなたは知っている、)
註: この歌は二番の最初の行で終わっている。一番の5行目をなぜかラサリーナは歌っていない。すると、6行目の siad 「彼ら」のさすものはさかのぼって aingle 「天使たち」になり具合が悪い。ラサリーナ自身の書いたライナー・ノーツによると、「この歌は葬式や通夜でうたわれた。死の床にあり、聖母マリアのなぐさめを受けている人をえがいた歌である。死は、彼を、嘆き悲しむ縁者から分かつけれども、神の霊は永遠に彼とともにある。」
---- Tá an dán seo le fáil sa Irish Folk Music Studies, 1981, l. 40. Is ó Irish Musical Studies, 2, 1993, a fuair mé é seo.
(大意: [1] イエズスは正しい人である、父なる神よ/イエズスはわれらを罪の束縛から贖ってくださった、/ご受難をされ十字架上で死して/われらのおかす罪のあがないをしてくださったときに。 [2] アレルヤ、アレルヤ、/アレルヤ、/もし、われらの肉体が虐げられても霊魂は危うくならない/決してわたしの名を拒んではならない。 [3] 園に出てきなさい、ペトロ、/わたしの心には大いなる寂しさがある。/わたしの寂しさにはこの上ない罪の重みがかぶさっているのだ/今夜はわたしとともにひととき注意していなさい。 [4] [ペトロ、これはあなたの前で作られたパンである、/ペトロ、このパンをとりなさい。/このパンをとる者は/わたしの肉体と霊魂と神性をとることになる。] [5] ペトロ、これはあなたの前で作られたぶどう酒である、/ペトロ、このぶどう酒を受けなさい。/このぶどう酒を受ける者は/わたしの脇から流れる血のしずくを受けることになる。 [6] アレルヤ、アレルヤ、/アレルヤ、/もし、われらの肉体が虐げられても霊魂は危うくならない/決してわたしの名を拒んではならない。 [7] 日曜の朝三人のマリアが出かけていった/イエズスの傷口に膏薬を塗るために。/女たちは墓のまわりを狼狽して探した/しかし、イエズスの姿は見えなかった。 [8] [天使が天から降りて来た/天使は女たちの見ている前で石をどけた。/墓の前には石があり百人がかりでも動かすことが出来なかった/ところが、聖なる天使はそれをどけた。] [9] マタイの預言にいわれていることで/イエズスが受けられた嘲りに関することがある/鍋で煮られていたおんどりが立ち上がり/食卓へ行って一声発した。 [10] アレルヤ、アレルヤ、/アレルヤ、/もし、われらの肉体が虐げられても霊魂は危うくならない/決してわたしの名を拒んではならない。)
註: この歌の四番と八番をなぜかラサリーナは歌っていない。
---- Tá an amhrán seo le fáil sa Ó mo dhúchas le Seosamh Ó hÉanaí, 1976.
(大意: [1] わが神よ、われを助けたまえ、/御身の愛をわれに与えたまえ、いとしき神の御子よ、/御身の愛をわれに与えたまえ、いとしき神の御子よ、/わが神よ、われを助けたまえ。 [2] わが心のうちに来りたまえ、わが心が健全ならんがため、/大いなる王よ、御身の愛する者を今救いたまえ、/大いなる王よ、御身の愛する者を今救いたまえ、/わが心のうちに来たりたまえ、わが心が健全ならんがため。 [3] 主よ、御身に願い奉るものを与えたまえ、/与えたまえ、惜しみなく与えたまえ、澄んだ明るい太陽であるかたよ、/与えたまえ、惜しみなく与えたまえ、澄んだ明るい太陽であるかたよ、/主よ、御身に願い奉るものを与えたまえ。 [4] このことをわれは望み、求め奉る、/御身の愛をこちらに、御身の愛をはるかなるわれに、/御身の愛をこちらに、御身の愛をはるかなるわれに、/このことをわれは望み、求め奉る。 [5] 御身の愛を、お望みのままに、/与えたまえ、惜しみなく与えたまえ、これを再び申上げ奉る、/与えたまえ、惜しみなく与えたまえ、これを再び申上げ奉る、/御身の愛を、お望みのままに。)
註: この歌はラテン語とアイルランド語の二ヶ国語併用体を用いている。各連の1行目と4行目がラテン語、間の2-3行目がアイルランド語である。原詩は11世紀のアーマーの男性詩人 Máel Ísu Úa Brolchán (1086 没)が書いたとされる。ラテン語はそのままであるが、アイルランド語は Seán Ó Ríordáin による現代アイルランド語訳をラサリーナは歌っている。
---- Tá an dán seo le fáil sa Rí na nUile, 1967, l. 21. Tá na línte sa Laidin scríbhtha le Máel Ísu Úa Brolchán, agus na línte as nua-Ghaeilge le Seán Ó Ríordáin.
(大意: [1] ある晴れた秋の日、私はこの道を西へたどっていた/ああ、私は垣のそばで乳搾りをしている娘に出くわした/その娘はたいそう美しく、顔はバラのよう、/「結婚してください、あなたに私の心は熱くなりました。」 [2] 「ああ、ちょっと早すぎませんか」と彼女は言った、/「若さを楽しむのさ、大いに楽しむのさ。」/「それより一緒にヨーハルのところへ行って刈入れをしましょう、/それに私は楽しむには若すぎます。」 [3] 私たちはパブにはいり、そして、もちろんすわった/テーブルにはワインとブランディがあり、私は分け合った/テーブルには何でもあったが、払ったのは私だった/彼はポケットに私の櫛を入れて小道を西へ去って行ったから。 [4] 「夜明けまで私は何と悲しい女でしょう、」と彼女は言った。/「彼がこちらへ戻ってくるまでは、私は浮かれ騒いだりしません。/私の髪は乱れ、整えるものがない/ああ、頭の後ろ高く挿していた美しい櫛を私は失った。」 [5] 彼はこの道を明日やってくるでしょうから、大歓迎しましょう/家の真ん中に彼のために木の椅子をしつらえましょう/彼の帽子をとって、恥ずかしがらずに/私の後ろ髪に挿していたあの美しい櫛を取戻せることでしょう。)
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